ホクエツの2代目社長。
他、丸越工業を含めた2社の社長も務める。
大学を卒業しすぐに横浜の家庭用品問屋に入社。
3年間勤め上げてから燕に戻る。
ホクエツ入社後に営業職、役員職を経て、
35歳の時に社長となる。
公平であるということは本当に難しい。人間だから欲もある。本当の意味で実現するには、文字通り聖人君子にならなければならないでしょう。不可能に近い。だからこそ、これを組織や個人のテーマにすることは危険だと思う。そこで私は、公平であることを目指すのではなく、不公平だと思うものをひとつずつなくすことをテーマにしています。
たとえば、賞与を査定する時には必ず上司、役員、社長の3人以上が評価する仕組みにしている。一人だけであれば、日々の業務内での実績は評価できるかもしれないが、来客時に垣間見えるような穏やかな人間性などは見えないかもしれない。二人だけで判断してしまえば、個人の成長を判断できるかもしれないけれど、大きな可能性や伸び代には目が向かないかもしれない。三人で判断すれば、多様性にとんだ人物像をもっと多角的に判断できるということを理解したのです。評価される本人自体が気がつかない点に気づくことにもつながり、なにより不公平さを極力軽減できる。正しい評価は必ずモチベーションにつながる。会社全体、すべてのプロセスにおいて、こうしたことを徹底しています。ちゃんと意味のある手間をかければ、納得は常に深めることができる。経営者としても一個人としても妥協はしたくありません。
私は2代目で、経営者になって今ちょうど二十歳。会社自体は46期目です。大学を卒業し横浜にある家庭用品問屋で営業を3年経験し燕に戻りました。横浜時代には5年で営業のトップになるという目標を決めていました。3年目の時は5番目でした。父から話があり戻ることになったのですが、目標への道半ばという思いが強くどこか納得できなかった。周りには、素晴らしい成果じゃないかと言われましたが、どうも自分には自分で決めたことを守りたいという意固地なところがあって、複雑な胸の内だったことを思い出します。
燕では、だいたい40代のご子息に経営を引き継ぐことが多いですから、30代というのは早かった。ホクエツに入り、10年間で役員も経験しました。しかし、いざ経営を受け継いだ時に決算書を見直し現実と向き合うことになります。父は創業者であり会社を大きくしてきましたし、力もあった。そのひずみが、全部数字に表れていたのです。業績自体が悪かったわけではない。しかし、在庫の考え方、給与設定、販管費など、手をつけねばならないところがうず高く積み上げられていて冷や汗がでました。大変なことを引き受けてしまったと感じたものです。 そこから会社全体を徹底的に整理整頓しました。社長になって2年間、赤字を出しました。うみを全部出し切る覚悟でやったのです。その時、担当だった銀行員から「3年目の赤字が出たら、あなたに経営者の能力がないということだ。失格だってことなんですよ。」と言われ、強烈な怒りが湧き上がった。これが自分の心に火をつけたんですね。今でも鮮明に思い出せます。この言葉がなければ、今の自分はないかもしれない。