調理器具専門の開発会社でありメーカーでもある
株式会社オダジマの代表取締役社長。
高校卒業後、東京の調理器具卸会社に入社。
2年の修行のちに、燕に戻る。
20歳の時、オダジマ入社。
何度も襲い来る危機的状況を乗り越え、
企業としての新しい普遍に到達する。
オダジマは、自分で2代目になる。先代のとき、一般に広く知られるレミパンを平野レミさんと共同開発し自社販売を開始した。ありがたいことにヒット商品となり、アフターフォローまで含めて自社で対応した。完全にメーカーとしての位置付けだった。この時の経験は、現代にも生きている。たとえば、一般のお客様とのやりとりは、単なる加工屋としては経験することがない。小売店からのクレーム対応といったことも、メーカーならではだ。
もともと自分は、高校卒業後2年東京の調理器具屋で働いてから燕に戻ってきた。オダジマに入って、7年間程製造の現場で経験しその後、営業を始めて数年後にレミパンの開発と販売をスタート、発売後ほぼ毎日のように、お客様からの電話対応をしていた。本当にいろいろなお客様がいる。工場で調理器具の加工をやっているだけの時は、正直一人一人のお客様の顔までは見えてこない。長く続く作業と開発の連続の中に没頭している。レミパンのおかげで、お客様がイメージできるようになってからは、開発する時の意識が確かに変わった。現在では、販売を外部商社にシフトし、私たちは製造を担う体制に切り替えた。「作る」に集中できるようになったと同時に、培われたメーカーとしての意識がオダジマのDNAに組み込まれるまでになっている。先代のアプローチは、今なお大きな価値を生んでいる。