“考える人”を増やす。

Odajima Co.,Ltd - President Tomohiro Odajima - 2019.8.21

株式会社オダジマ

小田島 智博

調理器具専門の開発会社でありメーカーでもある
株式会社オダジマの代表取締役社長。
高校卒業後、東京の調理器具卸会社に入社。
2年の修行のちに、燕に戻る。
20歳の時、オダジマ入社。
何度も襲い来る危機的状況を乗り越え、
企業としての新しい普遍に到達する。

「考える」と「作る」、
不可分でありながら
分業を極めたヒトの叡智。

考えるヒトが作る、作る人が考える、というのはものづくりの理想です。ものごとに取り組めば無意識に思考は働くし、アウトプットには技術が必要不可欠です。あらゆる工程の無駄を最初から排除できることもメリットでしょう。もちろん万能ではありません。弊害もあります。作る人が考えると、技術を重視するあまり、新しい工程を必要としつつも社会に巨大なインパクトを与えていけるようなものづくりや、一見無茶とも思える社会ニーズにコミットすることを敬遠しがちです。考える人が作る場合は、”技術はなんとかなる”と荒唐無稽なアイデアばかりが蓄積しアウトプットが全く行われないというロスが生じかねません。そうした人々を横目に、誰も知らなかった技術を知っている存在だけが、無人の高速道路を走るが如く新しいものづくりを達成できる場合もある。ものづくりにおいて「考える」と「作る」は永遠のテーマです。おそらくは有史以来より、ときに分かれ、ときに融合しながら叡智化され、有機的な連携を続けています。
小田島社長率いるオダジマは「作る法人」です。現場は、どこか研究機関のような雰囲気が漂っています。大ロット品が製造されている場所もある一方で、エンジニアたちが少数の製品を試行錯誤しながら作っている場面にも出会います。「考える人が増えている、私たちはそれに応えていく」。小田島社長の思考に迫ります。

一生懸命生きなきゃならない。

自分たちには思いつきもしないことを考える人たちがいる。思っている以上に、私たちが自分の考えていることに縛られていることを自覚する。純粋に驚きがある。応えたいと本気で思う。当然、加工に苦労するものが多い。そもそも、作る側の私たちにないアイデアというのは、同時に、新しい技術発想を必要とするケースが多い。世界のどこかには、その加工知識が必ずあるとは思うが、すぐに巡り合えるものでもない。だから、自分たちで試行錯誤する。知識と出会うにも、ノウハウとして習得するのにも、どちらに対しても結果的に近道だからだ。
アイデアを最初に見たとき私自身の中で生まれる共感と向き合うことは、一種のプライドでもある。それが姿勢になる。もちろん簡単じゃない。考えた人の理想に近いものに仕上げていくというプロセスと、自分たちの技術の限界を突破していくプロセスが重なっていき、ちゃんと仕上がったと思うものになるまでに時間がかかることが多い。お客様には本当に待っていただいていると思う。たとえば先日、4.5mmほどの厚さのある鉄板を使い、重量が5kgくらいあるフライパンを作らせていただいた。通常のフライパンの概念からすれば、想像を絶するほど重い。最初こんなものをなぜ作るのかと聞いたら、鉄板焼きじゃないと出せない肉のうまさがある、という話だった。シビれた。それに応えるフライパンが見てみたいと本気で思った。「考える人」の思いに応えていくことは、技術を磨くことでもあり、同時に自分の納得に応えることでもある。最高にやりがいがある。

メーカー経験から得た”目”。

オダジマは、自分で2代目になる。先代のとき、一般に広く知られるレミパンを平野レミさんと共同開発し自社販売を開始した。ありがたいことにヒット商品となり、アフターフォローまで含めて自社で対応した。完全にメーカーとしての位置付けだった。この時の経験は、現代にも生きている。たとえば、一般のお客様とのやりとりは、単なる加工屋としては経験することがない。小売店からのクレーム対応といったことも、メーカーならではだ。

もともと自分は、高校卒業後2年東京の調理器具屋で働いてから燕に戻ってきた。オダジマに入って、7年間程製造の現場で経験しその後、営業を始めて数年後にレミパンの開発と販売をスタート、発売後ほぼ毎日のように、お客様からの電話対応をしていた。本当にいろいろなお客様がいる。工場で調理器具の加工をやっているだけの時は、正直一人一人のお客様の顔までは見えてこない。長く続く作業と開発の連続の中に没頭している。レミパンのおかげで、お客様がイメージできるようになってからは、開発する時の意識が確かに変わった。現在では、販売を外部商社にシフトし、私たちは製造を担う体制に切り替えた。「作る」に集中できるようになったと同時に、培われたメーカーとしての意識がオダジマのDNAに組み込まれるまでになっている。先代のアプローチは、今なお大きな価値を生んでいる。

1500人の足並み。

数年前、会社に関係して大きなトラブルを経験した。権利関係が主軸だった。重なる時は本当に重なるもので、会社としては代替わりの直前でもあったし、仕事量も忙しい時期だった。解決には2年ほどを要した。本当にも、身も心も擦り切れるような時期だった。結果的にその期間ずっと鍛えられていたのだろうと思う。事後処理をしているときには、もう、それほどの心身の疲弊は感じなくなり、そればかりか、より多くのことに目を向けることができるようになっているのを実感した。極端な例だったからこそ、何かを経験することが力になるということをはっきり実感できたように思う。
渦中にある時は、このトンネルを抜けることができるのかと不安が先行し、ネガティブなことばかりが頭をめぐる。経験した後は、それがポジティブなものであれネガティブなものであれ、力に変わる。同時に、どんなに暗い過去でも、今がポジティブであれば、あれが糧となったのだと過去をポジティブに捉えることができる。過去に起こったことは変わらないが、そこに光を当てることができるのも今しかない。何事も一生懸命やる、というのは前向きなことばかりを含まない。それでも、必ず力になる。

声に耳を傾けたい。

社長になって10年が経つ。自分の意識が変わったかといえば、それほどの自覚はない。普段通りだと思っている。不思議と、昔からいろいろな役職を担ってきた。自分の風貌がそうさせているのかもしれないし、他人から見たときの自分はそういう存在に見えているのかもしれない。地域の祭り役員をやることもあれば、PTA会長も経験した。
自分には、人の要望に応えたいという思いが潜在的にあるのだと思う。世の中には本当にたくさんの声がある。特にものづくりをしていると、それを日々感じる。使う人だけじゃなく、考える人もそうだし、作る人もそうだ。それに応えられる技術を自分たちが持っているという事実が、オダジマの役割を自ずと決定してくれていると思う。だからこそ、声をシャットアウトするようなことはしたくない。ものを作る熱量は、今日も必ずどこかで生まれている。私たちに聞こえるようになるまでには時間がかかるものもあれば、すぐに聞こえてくるようなものもある。たとえ、小さくても強い声だとしても、耳を傾ける姿勢を私たちがしっかり示すことは、「考える」と「作る」の間に信頼の橋をかけることになるのではないか。少なくとも、私たちはそう考えてやっていきたいと思うし、たくさんの声にしっかり応えていけるように、今日も技術を磨き、新しい意識の醸成を続けていきたい。