飛びます、翔びます。

MT-Torimatsu Co.,Ltd - President Issei Toribe - 2019.5.21

株式会社エムテートリマツ

鳥部 一誠

エムテートリマツの三代目社長。
2010年、社長就任。
創業100年目を迎える2037年に
売上100億を目指す企業づくりを掲げ、
新しい価値づくりの真っ最中。
他者に推され、地域における様々な役職を歴任。
その全てに「応援」というキーワードが生きる。
普遍性高く、社会のお役にたてる存在としての
企業づくりを模索し続けている。

応援することは、
“本当は自分がやりたいこと”に挑む他者を
お手伝いすること。

「応援」。応じる(おうじる)と、援ける(たすける)という2つの言葉から成るこの言葉は、一般的には頑張る人を支えるという意味でよく用いられます。特に私たち人間は、夢中になって頑張り続ける人間を見ていると、次第に感化され気づけば応援側に回っていたり、協力者として名乗り出るといったマインドを持っています。これは学問的には進化心理学と呼ばれる領域で研究が進んでおり、人間の進化に関わる心理的なメカニズムであるとも言われます。と難しいことを言うまでもなく、実のところ、私たちが応援したくなる理由は、「私たち自身がどこかでそれをやるべきだと思っていた」または「それをやることで社会や状況があきらかによくなる」といったことを、直感または理解できる場合であるようにも思います。
今回ご登場する鳥部社長は「応援するのが好きだ」と言い切る経営者です。それは、自分が応援したくなるような出来事に出会う確率が大きい人間だと言い換えることができるのかもしれません。商社という、多くの人間に出会う商売であることもその一助だと思われます。しかし鳥部さんのお話を聞きながら突き詰めてみれば、それは「できることなら自分がやりたいと思うこと」が沢山あるが故に生まれるマインドなのだと感じます。

一生懸命生きなきゃならない。

私は、家業を継ぎたいと思って社会にはでなかった人間。むしろ、必死で逃げようと思っていた。高校を卒業して、大学には行かず、就職したのは新潟のアパレル商社。ファッションには興味があった。首都圏を始め、全国に服を売っていた。しかし、アパレルをやりたかったのか、と言われればその仕事があったからと言うのが正直なところ。何か強くこれがやりたい、という気持ちがなかった。むしろ、家業以外ならなんでもよかった。仕事を始めて2〜3年たったころ、22歳の時、そんな自分を見て祖母が泣いた。「どうしてこの家の商売に目を向けないのかと」。堪えた。生まれて初めて本気でまいった。腹をくくって、実家の商売に身を投じようと思ったのがこの時だった。そもそも、私はとてつもなく祖父母のことが好きだった。祖父が興した会社の2代目として必死だった父はあまり家にいなかった。祖父母が自分の相手役だった。特に祖父はユニークな人間だった。こんな逸話がある。うちの母親が、家にネズミが出たことを祖父に話して、茶箪笥の裏に穴がありそこをネズミが出たり入ったりする。母は穴をふさいでくれと言った。祖父はすぐに応じ5分もたたないうちに出来上がったと言う。母が見に行ったら、正面の扉裏に虎の絵が書いてあったという。もうこれでネズミがでないだろうと言ったらしい。働きものだった祖母にプロポーズした時も、毎日祖母の家の前でギターを弾いて[「会いたさ見たさで怖さも忘れ~・・」と歌を歌いながら通ったというから筋金入りだ。万事がこんな感じだったようだ。自分の今の性格は間違いなく祖父譲りだと思っている。その愛してやまない祖父母の一角が泣いたのは衝撃だった。今思えば、あれは、祖母や祖父の”応援”だったのかもしれない。

応援するのが好きだ。

応援するのが好きだ。これは、結局一生懸命生きることだと思っている。むろん、何でもかんでも応援したいわけじゃない。それでも幸いにして、応援したいと思える出来事に出会うことが多いように感じる。少し変わった応援の仕方としては、周りの人が望む姿に僕がなるという方法がある。たとえば、地域の団体があり、そこの役職に誰をつけるかと言う議論があるとする。私になってほしいという声が上がれば、固辞することもあったが多くは役職についてきた。

これは、みんなの応援に自分が応援で応えるということだと思っている。同時に、みんなが自分にそうした姿を見つけてくれたということでもある。そうすると、関係は広がり、新しいチカラも生まれる。会社に関してもできればそうしたスタンスを維持できないかと思う。数年前から新しい仕組みをつくり、チーム制、リーダー制で社内マネジメントを行なっている。時間はかかるが、リーダーとなる人間を叱咤激励、つまり応援するのが自分の仕事だ。私たちはまだまだ強い会社になれると確信しているし、もっと大きく飛び立てるはずだ。

1500人の足並み。

燕という土地は、歩けば経営者に当たるという土地だ。もちろん、有象無象いると他の土地からは思われていることだろう。家業が会社をやっていたということが大きい。私たちにとって忘れられないのは燕中学校の存在だ。なにせ、全校生徒が1500人というマンモス公立中学校で、この地域の人間のほとんどは出身者となる。1学年500人。現在、この地域においてつながりのある経営者の多くが燕中学の出身だし、それは上下も全く同じだ。嫌が応にも、学生期のいろんな思い出と一緒に人間の姿が見えてくる。燕の経営者が仲が良いのと、燕中学校出身者が仲が良いというのは似ているのである。もちろん、経営者の中でもさらに仲の良し悪しが生まれるのは、実績の話や、経験や、団体の役職や人柄といった複合的な要素になる。1500人の足並みはこのようにして複雑に絡み合っている。この絡み合いは時には鬱陶しくなることもあるが、ある意味強靭な繊維のようにこの地域全体の強さを形成していると感じる。誰かが応えてくれるし、誰かが援けてくれる土地。たとえば、私たちにも全く知らないような会社や経営者が居る。でも、いざ会ってみると中学が一緒なことは多い。親しくなる速度が段違いである。なにせ500人もいるのだから、一度も話したことのない人間だってたくさんいる。この足並みは大きな足音になり、燕の潮流につながっていると感じる。

目標は最高の応援歌。

イノベーションという言葉がもうすっかり定着して、なんでも”イノベーション”となる。でも私は疑問を感じる。応援している匂いがしないからだ。たとえば、社内でイノベーションを起こそうと言ったところで、イノベーションなんて起きない。それでは一種のほったらかしだ。イノベーションを起こしたいなら、自分で行動するしかない。私はこれまで、あまり高望みをしてこなかった。売り上げも30億くらいまでいったらいいんじゃないかと考えてきた(現在は30億円規模)。しかし関わっている経済団体で、ある社長に「何を言っているんだ、100億目指すと言うべきじゃないか、それが社会責任を大きく果たすということでもあるんだ。」と言われハッとした。100億というのは単なる規模やお金の話に感じる人も多いだろう。しかし、100億の会社になるためには、優秀な人材が育成でき、新しい事業の芽を育たせる環境があり、既存ビジネスのオペレーションが高いレベルでまわり、会社に関わる人たちがこの会社と関われて幸せだと感じるような存在感を構築できなければならない。つまり、素晴らしい会社になるという行動を生むのだ。この時、目標を作ることが自分にとっての最大の応援になるのだということを気付かされた。結局は、自分の中にあった思いを誰かが言語化してくれることに心が響くのだと思う。これこそが本質的な”イノベーション”ではないか。応援というのは多種多様な姿形をしている。それを掴み、理解し、また伝えるために努力する人間でありたい。一方で「なーってわけわからんれ~の~」と言われて生きていきたいという、一見矛盾した気持ちが同居している。肩肘張って応援が好きだ、というのではない。胸を張って笑顔で、応援が好きだ、と言える軽やかさを忘れずにいたい。トリは、翔ぶのだ。