空気に爪を立てる。

Shinetsu works Co.,Ltd. - President Harunobu Sango - 2019.1.9

株式会社新越ワークス

山後 春信

父親が調理道具メーカーを創業し、現在は二代目。
代替わりは2004年、43歳の時。
以後、山後社長が創業したアウトドア企業を吸収。
地場企業のペレットストーブ事業をM&Aで加え、
アウトドア製品、調理道具、エネルギーという
3つの事業を展開する現在の会社の姿を作り上げる。
今なお新しい事業や起業に携わり、
社会に役立つことを追求し続ける
稀代のヴィジョナリー。

意思を持って
「誤配」を生み出せる
唯一無二な存在感。

規則正しい私たちの生活を「郵便が適切に配達されている=郵便的」と分析する哲学があります。「郵便論」とも言われます。朝、顔を洗う。出社する。食事をする。同じクライアントを往復する。トラブルに対処する。こうした日常のすべてを指します。しかし、郵便的な社会は硬直化します。たとえば、企業ブランドは上顧客を欲しがりますが、上顧客だけしかいなくなってしまえば、一緒に年をとりいずれ無くなるでしょう。そこで郵便論では、社会が多様性に富み、様々な選択を可能にし、新しい価値を育んでいくためには「誤配」が必要であると説きました。たとえば日本社会には「お見合い」の文化がありますが、これは一種の「誤配」です。出会うことのないはずの二人が、仲人を通じて出会い、家庭を持つ可能性を手にするのです。社会は、多様性を保ち新しい可能性を手にするために常に貪欲です。
山後社長の存在は独特です。言うなれば、燕における「誤配達人」と言えるでしょう。この土地にないものや考え方を、燕に必要とみるやいなや、事業化したり法人化することに躊躇しません。同時に、自社においても常にその意識で事業と向き合っています。こうした稀有な存在には、社会を捉える特殊な目が備わっていました。

環境を用意したい。

学生の時、とある政治家の選挙活動を手伝うアルバイトをしたことがある。その時、政治家から言われ印象的だった言葉が「空気に爪をたてろ」。政治は、街ゆく無関心の人たちに対して主義主張を訴えるところから始まる。空気に爪をたてなければ人は振り向かない。そういう意味だったと記憶している。しかしこの言葉は、私にとって大きな意味を持つものとなった。
自分が学生の時は、今から大体40年前。高度経済成長の真っただ中で、新しいモノゴトがどんどん生まれた。戦後復興の最も苦しい時代を抜け出た日本は、経済という新しい自信を手に入れつつあった。社会全体が高揚感に包まれていて、自分たちは学生としてそれを享受した。「新しい”何か”を作る」ことを誰もが目指していたし、そのために生活全てを注ぐ人たちにあふれていた。誰もが東京を目指したし、誰もが新しい可能性を形にしようとしていた。この時代の楽天的な雰囲気は、そうした時代背景に目を向けなければわからない。自然、自分も「新しいモノゴト」を作るんだという意識を持っていた。「空気に爪を立てろ」は、そうした思いを言語化してくれたように感じていた。

絶望したことがある。

一種の絶望を経験したことがある。言い換えるのであれば”スネた”。大学は東京だったが、父がやっていた会社を継ぐことを当然に考えていたため、燕に戻ることは既定路線だった。父は、町工場出身の職人で、その後独立し、金網を使ったざるなどの調理器具を作る会社を作った。時代は何を作っても足りなかったので売れに売れた。自分の幼少期は、会社が大きくなるのと時を同じくしていて、生活は年々変わっていった。そうして東京の大学を卒業したのち、大阪の金網メーカーに修行に入った。
自分は変わらず「新しいモノゴト」について考え続けていたが、結局、金網は規格や仕様にガチガチに縛られていた。当時の自分には、「新しいもの」が生まれる雰囲気が皆無に感じられた。実家の商売は、この金網を使い、ざるをはじめとする商品開発をしている。金網は素材として必要とされるから良いが、実家の商売に未来はないと思った。一種の絶望だった。大阪での親方は本当に良い人で、技術もしっかり教えてくれて今でも感謝している。それでも2年の約束を1年で切り上げさせてもらった。もとは、父親の紹介で入った会社だったので、父親は激怒し、自分は燕に帰ることができなくなった。大学卒業1年目にして帰る場所を失った。やむなく東京に戻り、様々な仕事を経験した。完全なるプータロー。FAXを売る仕事もしたし、他の仕事もした。それでも「新しいもの」に対する欲求はなくならず、むしろ強くなっていった。自分の信念を曲げる気は毛頭なかった。

人の土俵で勝負することは、”勝ちにくい”ことを意味すると考えている。負けやすいと言い換えても良い。よく「やるなら負けるな」と発言するが、それはつまり「自分が勝てるものを見極めそこで勝負すべき」という意味だ。私にとって最初のそれは、大阪から戻り東京でくすぶっていた時に起こった。ある大手ガス器具メーカーの会長が病に倒れ、疎遠になっていた父から一緒に見舞いに行こうと言われたことが始まりだった。疎遠だっただけに訝しんだが、逆になぜ父が誘ったのか興味を持った。この時、会長がある技術を受け継がないかと打診してきた。ガスボンベをセットするだけで、簡易暖房器具として足元を暖められる品物で、今までにないようなガス器具であり、金網の技術を要するものだった。まさに「新しいモノ」だった。すぐに面白いと感じ、燕に戻り自分一人でユニフレームという会社を立ち上げた。設立後は、キャンプブームが起こり、5年で黒字になったが、3年後にブームの終わりを向かえ失速。以後10年間赤字となったが、じっと耐えた。この間、父は何も言わなかった。むしろ、自分の会社の跡取りとしてのノウハウも提供してくれた。あれがなければ今の自分はない。「新しい」と感じるものは、常に外からやってくるが、それに反応するには”自己”が必要だ。耐えることはなんでもない。

まず、空気を見る。

言葉は、シンプルにすればするほど誤解されやすいが、シンプルな言葉の方が「爪を立てる」ことができる。ただし、その言葉に圧縮された意味を理解できる人間が本当にいなくなった。だからこそ、言葉から始まる空気の変化が”見える人”を増やしたいと考えている。理解は後からついてくればいい。そのためには、「役に立つ」ことをやらなければならない。たとえば、世の中にとってあまり役に立たなくてもお金を稼げる仕事がある。こうした社会は豊かだと思うが、本当の豊かさにはつながらないのではないか。社会の役に立つということは、それを実現していくための人間考察や哲学的な理解、情報を読み取る力など「生きる力」に満ちていなければならないと思う。それをどれだけわかりやすい行為や事業として実現できるかが重要だ。現代人はそこに惹かれる。つまり「役に立つ」ことを真剣に考えることは、結果的に人材という未来の可能性に目を向けることでもある。

自分にこそ、爪を立てる。

2011年の東日本大震災は、自分にとって本当に大きな出来事だった。この時に「役に立つ」ことの重要性を真剣に考えたといっていい。燕という場所は、様々な出来事で何度も危機的状況に陥ってきたことがある。円が280円から120円になり貿易関係のビジネスが壊滅的なダメージを受けたプラザ合意もそうだった。リーマンショック、中越地震をはじめ、大きな波が何度も訪れている。その度、ツバメは壊滅的ダメージから何度も復興を遂げてきた。被災地で何かしなければと自分が考えたのは、そうした経験ゆえかもしれない。自分は、南三陸に足を運び、そこで何ができるのか真剣に考えたが一人ではあまりに力不足だ。しかし、南三陸では多くの人間が似たような思いをもち、街の復興に関わりはじめていた。そうした人間たちと出会いつながることで、すごいスピードでモノゴトが形になった。それぞれが保有する力や技術があれほどまでに必要とされ、有機的に動きあい、スピーディに行動できる経験はなかなかできない。自分が社会に役立つことの意味を文字通り再認識できた。
常に、自分も会社も岐路に立っていると考えている。本当に社会に役に立つ企業であり、かつ、新しいモノゴトが生まれる場所であるのか。確かなことは、可能性は常に人に宿るということだ。会社のノウハウだけでは、硬直化する可能性がある。若い人間を積極的に採用しているのには、その可能性を見るからだ。もちろん、年齢ではなくどの人間にもそれがある。その可能性には自分自身で気づき、突破していかなければならない。つまりまずは、「自分が持つ空気に爪をたてろ」なのだと思う。爪を立てたところから空気が漏れ出てしぼんでしまうなどという心配をする必要はない。むしろ、外から新鮮な空気が中に入るようになる。空気の鮮度も上がる、自分の器が膨らむこともあるだろう。そうして、「新しいモノゴト」を作り出す力が作られていくのだ。