環の境に橋をかける。

Kanda Co.,Ltd. - President Tomoaki Kanda - 2018.12.4

株式会社カンダ

神田 智昭

燕における中堅の料理道具商社であるカンダの代表取締役社長。
祖父の代に三条市において開業し、
父の代から燕市にシフト。
会社設立からは3代目、
現在の場所、体制になって2代目となる。
特に、中華用の調理道具に強く、
全国的な知名度を誇る。

無数に存在する環を
つなぎ、大きくする。
経営はその環を強くすること。

「環境」という言葉の起源は1866年にドイツ人学者が記した言葉「エコロジー」です。本来は生態系全体の循環システムを意味しており、社会、経済にまで普遍で通用する概念です。しかし日本ではどちらかというと「エコ=グリーン」をイメージすることが多く見られます。しかしそれでは、本来意味することに届きません。そこで私たちは、環境を「かんきょう」と読むのではなく「わさかい」と読むことで本来の意味を理解しやすくなるのではないかと考えています。環は”わ”、境は”さかい”です。様々な環の境目に起こる問題、それが環境問題だという思考です。たとえば、自分の家族と隣人の家族はそれぞれ環を形成しています。この環の接点には、物理的に植栽が越境しているとか、音がうるさいとか、様々な問題が生じる可能性があります。これを環の境におこる問題=環境問題であると設定してみるのです。
こう考えてみると、国、企業、家庭、社会など、多くの場合、環の境に起こる問題は、異なる環がもつ利害が原因になっていることがわかります。神田社長は、まさにこの視点で、環の境を飛び越え、橋をかけ、新しい関係構築に注力し続けている経営者でした。そこに流れているのは、相手に対する想い、そして、社会に対する深い愛情です。

環境を用意したい。

私たちは調理道具を専門とした商社。中でも中国料理の道具には定評をいただいている。といっても、私たちの手柄は半分もない。それは、使う人がいてこそなりたつものであって、調理道具がなければどうにもならないという世界ではないから。しかし、料理の世界も日進月歩、次々に新しい調理法が編み出される中で、調理道具の存在感は増している。私がこの世界に入った35年前と比べれば、私たちの役割も大きく変わった。かつて中国料理が日本で本格的に普及し始めたころ、日本にない道具がたくさんあった。中国に行って学び、日本で作ることで商売の足場を作った。つながりも欠かせない。中国料理の巨匠をアドバイザーに迎えた時期もあった。道具を理解できただけでなく、新しいネットワークも作ることができ大きな成果をあげた。そうしたことの積み重ねが現在のカンダを作っている。
一方で私自身は、誰かのために何かをしてきたというよりは、自分が本当に良いと思ったものを自分の好きな人たちに伝えたいという想いが原動力。前提として、まず自分の価値観こそが重要だと考えている。しかし、法人の場合は個人とは違う。カンダという法人が、私という単一の価値観に統一されてしまえば、かえって弱くなることもある。それでは本末転倒。集まる人間の数だけ様々な価値観があるという多様性を受け入れるために、常に環境を意識している。

環の境に立つ。

環境を用意するということは、環の境を意識できる場を作るということ。お客様も環、自分たちも環、メーカーも環である。それぞれには境目があり、言葉を尽くし信頼を得ることで実績を積みながら橋をかける。しかし、時には問題が起こる。環境問題である。かけた橋が古くなることもある。どちらがメンテナンスするのか、どちらが何をするのかということも起こる。家庭内の夫婦でも兄弟でも、友人同士でも同じこと。むろんそうした時は、相手を待つのではなく自ら動くことが肝心。しかし、なんでも無尽蔵にそうしていればいいのではない。そこで私は、自分が愛情を感じるものにリソースを使いたいと常に思う。そのためには、興味や好奇心を常に働かせていなければならない。

最初から興味や好奇心が動くケースもある。一方で、徐々に生まれていくケースもある。あらゆる可能性を閉じないことも重要であることは言うまでもない。私たちは商社であり、社会から見れば、商売人の集合体に他ならない。つまるところ、環の境に起きる問題に対してはどこよりも早く、深い理解で対応できる集団でいることが理想だと思う。自分の価値観で言うならば、それは愛情が豊かな企業であるということ。そうでなければ、相手の環のことに想いを馳せることは難しいのではないか。私たちは商品を売っているのと同時に、恩や感謝といったものを扱っているのだと思っている。

自覚できるコンプレックスがない。

一口に愛情といっても、個々人で持ち方感じ方は様々だ。私がこうした性質になったのも、家庭環境が大きかったと思う。私たちの商売のもとは、祖父が三条市で始めた神田熊市商店。現在のカンクマという商品ブランドの名称でもある。あるきっかけがあり、父の代には燕市でほぼ0ベースから商売を始めることになった。厳しい環境だったが、自分が苦労したことは一切なかった。先先代、先代の苦労は並大抵のことではなかったと思う。幸福に育ててくれた家族には大変感謝している。
家を継ぐことを前提に考え、東京の大学に通い、卒業後に東京の企業に修行に入った。親方がいるようなメーカーで、アルミ鍋と中華鍋を得意としていた。とにかくお客様を大事にする企業で、そこで学んだことは今でも生きている。我が社では基本的には「こういうものがあればあのお客様の厨房がもっとよくなる」ということを考えて商品を作る。しかし、こちらがそう考えていても、相手側がそれを理解できなければただの片思いだ。だからこそ、相手のところにでかけて、言葉を尽くす。同時に、試しに使ってもらったり、頻繁にコミュニケーションをとることを重視する。どこでもやっていることで、普遍的な価値があるアプローチだがこれに勝るものはない。自分にとって商品は自信作。相手のための努力を惜しむことはない。

結局、愛。

愛情といえば、多くの人は表面的なことだけを理解しているつもりになりがちだ。しかし、本質的に、これこそが商売や人生の要になるものであるという事実はまげようがない。我々は他者には絶対になれない。したがって自分になるしかない。まず自分を愛せなければならない。ここで、自己中心的という言葉が意味を持ってくる。他者を排除する自己中と、他者を許容する自己中とがあると思う。自分への愛情が強くなりすぎると、他者よりも自分が優れていることを強調するようになる。しかし、他者への愛情が強くなれば、自分の存在には他者が欠かせないことを理解できる。前者の場合は他者を「否定」しがちだ。後者の場合は、他者を認めた上で「批判」できるようになる。
自己中心的な考え方はある程度大切なことだと思う。自分を知ることは、世界や社会や他者を知ることでもあるからだ。会社にはそうしたことを理解してもらえれば嬉しい。そのために環境を作る。私は一つの環にすぎない。会社のメンバーも同様だ。環である以上、そこにはルールがある。無数のルールの境目を理解しながら、共通認識を得られる環境をどう作れるか、それこそが自分の使命だ。環が増えることは嬉しい。そして、その環境が誰にとっても幸福なものであれば、それに勝る喜びはない。