“不安”は普遍のモチベーション。

Tojiro Co.,Ltd. - President Susumu Fujita - 2018.11.6

藤次郎株式会社

藤田 進

包丁ブランド「藤次郎」を擁する
刃物メーカー、
藤次郎株式会社の代表取締役社長。
高校卒業後すぐに燕の卸商社に入社し
商売のいろはを学ぶ。
23歳の時、藤次郎の前身である
藤寅工業に入社。
37歳の時に代表取締役に就任。現在56歳。

好奇心は大きな推進力、
不安は重要な抑止力、
経営の感性は、常に表裏一体で動く。

優秀とされる経営者は常に貪欲に見えます。理由は一体なにか。ひとつは類い稀な”好奇心”のなせる技でしょう。「もっと知りたい」「もっと工夫できる」「もっと追求できる」そうした思いは人を突き動かす根源的かつ強力な動機になります。たとえば、古今東西の学問は好奇心が誕生の源泉。好奇心がなければ人類は今のような社会を構築することは難しかったと言い切ってもいい。しかし経営にとって好奇心は、可能性であると同時にリスクでもあります。強すぎる好奇心はリスクに対する”盲目”を意味することもあるでしょう。 そこで私たちは、こうした意味における好奇心の対義語を探しました。それが”不安”ではないかと考えています。「不安だから予測を立てる」「不安だから止める」「不安だから手を打つ」会社の持続可能性を高めるために必要不可欠な能力です。好奇心を推進力だとすれば、不安に対する対応力は進む方向を見定める抑止力として働くのかもしれません。藤次郎株式会社は包丁を極めんと技術を磨く企業。まさに、人の食に対する好奇心を満たすための道具です。その経営者は、「不安」を感じる感性に富み、乗り越える方法を編み出し続けている方でした。

「不安」は新しくなる。

結局「不安」という一言につきるのではないか。だから一生懸命考える。自分は、事業を始めるのも止めるのもすぐに取り掛かる方だと思う。時代を読み、思案し、そして結果がどうなるかという好奇心が生まれ、動く。同時に、常にこれで良かったのか、明日はどうなんだ、という不安が生まれ、消えることがない。むしろ事業が進めば、順調だとしても不安が強くなる。解消するために、新しい情報に触れ、思案し、次の手を考える。サイクルに終わりはない。
結局、法人も個人も、社長も社員も変わらない。常にそうしたサイクルで動くのが人であり、だからこそ社会は新しくなっていくのだと思う。確かに、経営者が背負う様々な責任を考えれば、社会の中でも特によく動いている存在だと言えるのかもしれない。経営者は自社においては孤独な存在だが、個人に友人がいるように迷った時には頼るべき存在が周りにいるものだ。大前提は自分で考え、自分で突破していくべきものだが、本気で思案する時には誰かに助言を求めるときもある。幸い、燕には本当に優秀な経営者がたくさんいる。その中で、尊敬する人間や、仲間の経営者もいる。不安を感じ、それを突破しようと努力する時、この燕という環境ほど包容力を感じる場所もまたないように思う。

五十を超え、
挑みたくなった。

37歳で父親から会社を受け継いでから、「守る」という意識が強くあった。銀行からお金を借りることも敬遠してきた。既存事業を強くし守ることが自分の役割だと考えてきたところがある。姉が1人、兄が2人という兄弟構成で、家業は兄貴が継ぐものだと考え、10代のころはやんちゃばかりしていた。しかし長男が病気で亡くなり、最終的には縁あって自分が受け継ぐことになった。正直、戸惑った。考えていなかった出来事だったからだ。高校卒業後にお世話になった商社がなければ今の自分はない。ビジネスを面白いと感じることができたことに感謝している。一方で、こうした背景もあったからか、自分には「受け継いだものを守る」という意識が強く残ったように思う。「責任感」こそが自分の経営者としての源泉だった。

6年前。50歳になった時、様々なことを深く考える時間を作った。2007年にリーマンショックが起こり、2011年に東日本大震災が起こった後の社会だったから、不安定であることが常態化していた。必然的なタイミングだったのかもしれない。周りの経営者たちも様々なことを思案していた。このとき10年の計を立てた。自分は65歳で経営を息子に譲ろうと考えている。その前に、まず自分が「守り」から「挑戦」にシフトできないかを真剣に悩み考えた。守っていては負ける、そういう時代の足音をまざまざと感じていた。

燕ブランドを作るという挑戦。

従来の我々のビジネスは、メーカー機能と卸商社機能を備え、商社機能から得た情報をメーカー機能が形にする流れがメインだった。販売先は小売もあれば問屋もあった。この構造を逆転させ、メーカーが作るブランドとして自前での販売を強化することにした。おのずと、この5年で販売先との関係は希薄になった。同時に、工場見学を行えるよう設備投資も増やし、銀行からもお金を借り入れる。それまでの自分では絶対に着手しなかったようなことに挑戦した。不安はたくさんあったが、止める時はちゃんと止められる自分を強く信じてもいたし、なにより好奇心と信念が背中を押した。
結果はポジティブなものになった。まず良い人材に巡り合うことが増えた。特に現在は女性の力が高まっているのをまざまざと感じる。藤次郎で今100を超える人間がいるが、女性が元気だ。若い人間も増えた。外の人間と出会う機会も増えた。海外販売など、直販にも手を伸ばしたこともあるし、オープンファクトリーの効果もある。手に入ったノウハウや経験は大きい。明らかにできることが増えている。変化は確かに起こり、今なお社内において起こっている。もちろん、まだまだ社内に力が足りないと感じることも多いが、可能性は広がった。これ以上に得難いものはない。

ポジティブな不安というものがある。

それでもなお「新しい不安」は生まれる。今は、人材が豊かになり、愚息が入社し、役員の体制も変えた。これまで、ワンマンなやり方を貫いてきたので、会社の社員を含めた社員にはいろいろ複雑な思いをさせてきたと思う。それを、今こそが継承ターンだととらえたことで、少しずつ、周りの意見を次の法人の意思決定に反映できるようにしていくための体制構築を行なっている。時間はかかるが、権限委譲のプロセスだと捉えている。そして今、自分は、挑戦してきた「質のビジネス」から、最も長く向き合ってきた「量のビジネス」にリソースを移すことを決めた。
これからの法人は、ものづくりを中心にしていくことが良いと思っていることに変わりはない。様々な発想が、自分たちから生まれる環境が必要だからだ。藤次郎はそこを磨く。それでも商社に学んだ自分は、やはり量のビジネスの人間だ。もう一度、そこに挑戦したい。我々には、藤次郎とは別に商社機能を持つ法人がグループ内にある。ここが、自分の新しい舞台だ。ブランドをスタートさせる時も不安を解消するためだったが、今度はブランドを作ってきたことで生まれた不安を突破する。不思議とワクワクしている。自分の器を試す挑戦は、同時に原点回帰にもつながった。かつて、自分を動かす原動力は「守る」や「責任感」だったのかもしれない。しかし今は、愚直なまでに「不安」を解決するための力を研ぎ続けるのみだ。