人を、喜ばせたい。

Maruyamagumi Co., - President Mitsuhiro Maruyama - 2018.9.25

株式会社丸山組

丸山 光博

株式会社丸山組の3代目社長。
東京の大学に通い、卒業後中堅ゼネコンに入社。
8年の経験を経て、地元燕に戻り丸山組に入社。
現場を5年、営業を3年以上経験し、37歳で社長となる。
1968年生まれの50歳。

ステークホルダー全体の満足度と
モチベーション向上の源泉は「喜び」。
教育者的感覚を基礎にする経営者。

人が強く感じる喜びのひとつは、人の役に立ったことを実感した時に得られると言われます。また、働く喜びは「金銭」ではなく「成長」という対価を得られた時に強く感じると言われます。様々な世界的研究者、経営者、技術者などが登壇するTED(https://www.ted.com)には、金銭的報酬をベースにしたボーナスでは生産性が向上しないことを証明した有名なスピーチがあります。実際のところ、私たちがこれぞ経営者と思う人々において、自社を大きくすることは自分の報酬を大きくするためだという方には出会ったことがありません。世界トップ10の富豪達も同じ趣旨の発言をします。さて、「仕事」とはなにか、「報酬」とはなにか。この追求が、いつの時代でも法人の新しい価値を切り開く鍵となることはいうまでもありません。
丸山社長は燕において3代続く建設会社のトップ。自らを技術者ではなく営業マンと語り、人に何かを伝える前にまず耳を傾ける姿勢が印象的です。丸山社長が口にする言葉、それが「人を喜ばせたい」。むろん、決してクライアントにだけではありません。ステークホルダー全体に及ぶことを徹底して追求しています。人を気遣い、人を喜ばせることを通して、自分の仕事の価値を模索する経営者です。

影響を受けた人間がいる、ということが一種の誇り。

私には特に影響を受けた人間が2人いる。1人は小学校の担任教諭。先生とは今でも付き合いがある。丸山組には先代が使っていた社長室があるが、仲間である社員の隣に席を構えたい自分には不要なため、もっぱら来客時の応接室になっている。この室の壁に大きな写真がある。これは、先生の趣味が写真だと知り、3ヶ月に1度写真を提供してもらっているためだ。もとは写真が飾れるような壁ではなかった。巨大な本棚があり壁も汚れていた。しかし、先生の写真を飾りたいと考え、作り変えた。額も用意した。おかげで3ヶ月に一度、先生が写真を届けに来てくださる。お茶をのみながら貴重な話を聞けるようになった。小さな頃から厳しくも様々な学びを与えてくれる姿勢には今でも感銘を受ける。来客したお客様や社員には、写真を通して、人の喜びにこだわる自分の思いを話しやすくなった。そして自分にとっては、関わる人々に対して先生同様に接するという志を確認できる場所になった。使わない社長室が特別な意味をもつようになったことが、心底嬉しい。先生とのやりとりがなければ、こういう発想はもてなかったように思う。
もう一人は、自分が25歳の時に仕事をした鹿島建設のプロジェクトマネージャー。当時35歳くらいだったと思う。大きな河川の堤防工事で、河口数百メートルが我々の担当だった。鹿島建設にとっては小さな仕事だが、当時勤めていた会社にとってはある程度規模のある仕事。この時、全体監督の補佐がこの人物だった。仕事に対する姿勢、技術に対する深い造詣、スケジューリング、きっちり定時を守ることの意味など、すべてに学ぶべきものがあった。自分が仕事人として最初に出会った飛び抜けて優秀な方だった。今でも、その時に学んだ仕事の意識を現場の人間達に伝えている。

人の喜びこそが、
自分の喜びになる。

大それたことを考えているわけではない。聖者のように振る舞うわけでもない。それでも純粋に、自分に関わる人にはできる限り幸福であって欲しい。人の喜びを考えることは、結果的にあらゆる物事を深く思考し行動することにつながる。たとえば、外で会食した後、自分が必ず最後に見送る側でいたい。そして、相手が見えなくなるまで手を振っていることを心がけている。人に見てもらいたいわけではない。タクシーに乗ってすぐにパッと前を向いて次のことを考える人、ひょっとしたらまだ見送っているのではときになる人、様々だ。見送る側も、すぐに切り上げる人もいれば、時間をかける人もいる。それなら、どんな状況でも相手のことを考え、見えなくなるまで手を振ればどちらも気持ちがいい。すべてにおいて、そうした考え方をする。結果、自分の行動にブレがなくなる。発言にも力が出て来る。品格につながっていくのではないか。自分がすべてできるとは到底思えないが、意識を保ち続けていくのは気持ちがいいし、なにより楽しい。

燕の経営者は、人を喜ばせるのがうまい。

燕には接待がほぼない。自分もほとんどしたことがない。丸山組は、もともと公共工事を請け負う会社だった。自分の代になってからは公共工事の割合はどんどん減らした。一時、政権が交代したことで公共工事が下火になったという背景もある。結果的に、民間の工事を受託する方向へシフトした。リフォーム事業にも取り掛かり、今では無印良品の家を扱う新潟界隈で唯一の会社でもある。決して順調だったわけではなく、試行錯誤した結果だ。苦しい時期も一度や二度ではなかった。民間工事においては経営者とのネットワークが欠かせない。ここに、接待が生まれやすい環境ができる。しかし燕では逆。たとえば、工場を建てたい経営者がいると、まず向こうから会食の連絡がくる。「丸ちゃん、ちょっと相談が」という感じだ。席上で仕事の相談を受けるのはこちら。もちろん、日常的に品質が良い企業でなければ声はかからない。燕の社長は、昼は会社、夜は経営者の会合や役をこなす。とにかくよく働く。同時に、常にお互いを見極めようとする緊張感がある。良い企業を育む風土がここにはある。
もちろん、案件が決定すれば、経緯が経緯だけに一生懸命良い仕事をすることに全力を注ぐ。きっちり仕事をこなせば、今度はクライアントがまた別の経営者に我々を推薦してくれる。そしてまた会食に呼ばれることになる。結局、私たちが燕において相手を喜ばせたいと思うのは、自分たちが喜ぶようなことをされているからだ。私たちは、仕事の仕上げには特にこだわっている。自分たちがお客様ならどうされた時に喜ぶのか、細かな点にまで徹底して想いをはせて行動する。直近10年における丸山組の企業文化は、燕という幸福な環境だからこそ育まれたと言っても過言ではない。

教員的感覚は
経営者にもあっていい。

学生時代、教員になることを目標にしていた時もあった。最高の仕事の一つだと思う。特に小学校。影響を受けた存在がいたからでもあるが、最も豊かに人間性が成長する時期に関わることには強いやりがいを感じた。経営者になって13年になる今、実際に考え行動していることはそうした教員的感覚に通ずると思う。会社内には自分にはできないことができるプロフェッショナル達がいるが、お客様になる経営者との会話はやはり自分に一日の長がある。一方で、若手もいて、彼らは今後何十年にもわたり勤めることになる。できれば一度社員となった人間には丸山組にずっといて欲しいし、彼らが幸福を感じられるよう私は常に努力しなければならない。そうした自分は、一種の教育者的な意識を持っているように思う。私は、自分の会社をただ売るための営業はしない。人を喜ばせるために、法人としての品質も、個人としての品質も磨くことで、初めて喜びを与える側に回ることができるのだという信念を持ち続けたい。もちろん経営者として、日々のやりくりと向き合い、稼ぐことに集中しなければいけないこともある。それでもなお、教育者に憧れた思いを風化させず、ステークホルダー全体に通ずる新しい喜びの発見に全力を注ぎたい。